発足のきっかけとなったのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、多くの犠牲者と災害を受けたことを忘れないために何か出来ないか?と話し合いの場が設けられ、平成25年から岩手県山田町にある三陸やまだ漁業協同組合の協力を得て、保土ケ谷区の関係諸団体とともに、鮭の稚魚を放流する会を始めました。
2013年から毎年3月、山田町に由来する鮭の稚魚を帷子川へ放流する活動を行い、今年で8回目を向かえます。
会場では山田町の水産物も販売し、東日本大震災からの復興に取り組む水産業を支援し、現状を発信。横浜の子ども達に命の大切さを感じて貰いながら、地域での防災意識の向上を図っています。海産物販売での売上金は被災地の復興を祈り募金をさせて頂いております。震災自体への関心は首都圏で年を追うごとに薄れてきています。この会を継続することで少しでも防災意識を高めて貰えたらと思います。
さて、最初の年は孵化して30日ほどの稚魚が送られてきましたが、翌年からは卵の状態で送られてくるようになりました。
発泡スチロールの中に湿った新聞紙と脱脂綿に包まれた卵を見たときは、大丈夫かな?と思いながらも水槽の中に入れ、子ども達と観察を始めた記憶があります。
でもよく見ると卵の中には既に黒い目が2つ動いていて、新しい命が生きていることが確認出来ました。そして、大きく育った稚魚を帷子川に放流してきました。
例年、送られてくる卵は約5千匹、クリスマス前には孵化をして、お腹についている栄養を使って水槽の底でじっとしています。
年が明け、1月中旬にはお腹の栄養も無くなって、身軽になった稚魚は水槽の中を泳ぎ始めて餌を食べ始め、最初は2センチほどの稚魚が、放流する3月の上旬には6~7センチくらいにまで成長します。
帷子川に稚魚を放流すること、今年で8年目を向かえ、育て方の工夫がだいぶ身についてきたところです。たとえば餌を与え始める時期、水の管理、掃除の重要性など、毎年経験を積むことで、順調に育てあげることができるようになりました。今では他の団体(小学校や中学校)から当学園に質問が寄せられるほどです。
そして、皆様が一番関心を持たれていること、それは今まで放流した鮭は戻ってきているの?というところだと思います。鮭の遡上を調べると1年から7年くらいで生まれた川に産卵に戻ってくるそうですが、残念ながらまだ帷子川に鮭の姿を見た報告はありません。私たち人間がもっと川をきれいにしなさいと鮭たちが教えてくれているのかもしれません。
いずれにしても震災に対する思い、自然を大切にする想いを忘れることなく、この会を続けることが大事だと思っています。
学校法人初音丘学園 理事長 渡邉 啓一
三陸やまだ漁業協力組合(http://www.jf-sanrikuyamada.jp/)
× 閉じる三陸やまだ漁業協同組合による定置網の風景です。
普段なかなか見ることのできない貴重な写真となりますので、是非一度ご覧ください!
◆孵化場の様子
◆新巻鮭づくり体験の様子
◆岩手県三陸山田町での放流の様子
◆毎年開催されている「鮭まつり」のご紹介